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夏なので・・・ ホラ~~~

それは・・・

今日も暑くなるぞ❗❗ と言う日の午前11時のことでした・・・

右前肢を又に挟んで削蹄していると・・・ 

馬が 突然

ぶるぶるっ❗ ぶるぶるっ❗❗

おなかの下にハエが・・・

このやろー❗❗ っと、手でおなかのハエをビタン❗❗

ハエは螺旋を描きながら

ひるるるる~~~・・・ と、墜落。

間髪入れずに ふりゃっ❗❗ と、踏みつける。

万感の達成感とともに仕事を再開していたら・・・

踏みつけたはずのハエが・・・

ふはははは~~❗❗ (゜ロ゜;

・・・・・・ と、言ったかどうかはアレですが ・・・

地面から飛び去って行きましたぁぁぁ・・・
!Σ( ̄□ ̄;) た・・ 確かに踏んだのに・・・

                     
以上、真夏の(ハエ)ゾンビー伝説でした・・・。

ぎゃあぁぁぁぁーーーー・・・・。
 ┛(T□T;)┗

飛節迷子。

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 ~ 飛節について ~

先日所用で府中競馬場に行って参りました。

いや、べつに夢とかロマンを買いに行ったワケではありません。
ヾ(-_-;) ないない・・・。

競馬はド素人なので・・・。

で、時間がありましたので競馬博物館を覗いていたら、偶然にも馬の祖先の後肢の骨の模型が展示してありました。

ちょうど、「そういえば馬の祖先の飛節ってどうなってたんだろ~???。」と思っていたところで、偶然の遭遇、棚からぼた餅?。でした。

(すいません、西伊豆に海水浴に行ったり、帰宅後体調を崩したりで遅くなりました。)
m(__)m

特設展示で写真撮影は禁止でしたのでやむなくスケッチしました。
(根岸の馬の博物館所蔵)

そこで初めて確認しました。

エオヒップス(キツネくらいの大きさ)は踵骨滑車はわりとまっすぐで、メソヒップスから斜めに傾いているということです。

まずいぞ・・・

私の超個人的考えとしては、

「踵骨滑車が斜めになっているのは、重たい馬体重を利用するため。」
すなわち、飛節を曲げないで、最加重時に後肢を突っ張り、その弾性で走る。

と思っていたので、たぶん傾き始めるのはプリオヒップスからだろうと勝手に仮説を立てていました。

メソヒップスから斜めじゃねーかよ・・・。
(-_-;)

この「飛節の踵骨滑車の軸の傾きは大きな馬体重と関係があるのではないか??。」
を、この話しの落とし所にしようと思っていたのに・・・。
(-_-;)

まずいぞ。

完全に飛節迷子になってしまった・・・。
(T^T)

では、また。
ε=ε=┏(・_・)┛ 逃。

変な話。 飛節についてー2 押してもダメなら・・・

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休みなので、朝からPC係のお仕事です。

まずは、前回の「地下鉄がどこからはいったか以来」というボケが馬頭観音と重複していたことを深くお詫び申し上げます。 

すいませーーーん!! 
(゜ロ゜;

いいよ~~
( ´△`)


吉本新喜劇見てないとわかりませんね・・・。 関西の方々はおわかりかと・・・。

関東装蹄師会の役員のPC係も2期の3年目となり(1期2年)、まさか2期目がやってくるとは思っておらず・・・。

まぁ、それではセカンドステージということでもう少し装蹄師らしいい記事を、と、「好きに書いてよろしい」という原点に返り書いております。
                            
引き続き書き捨て御免。
                               
                               
なぜ?? 飛節の距骨滑車の関節の軸が斜めなのか??? と。

前回も言いましたが、蹄骨、冠骨、繋骨、管骨の関節は概ね肢(趾)軸に対して垂直、地面に対して水平です。(前望から)

これはだれが考えても馬体(肢)と地面との力のやりとりをスムーズに伝え合うのに好都合の設計だと言えます。

それなのに、管骨直上の飛節の距骨滑車の関節軸はナゼか軸をずらしてナナメ下外側を向いております。

前回の写真を見ていただければわかりますが、外望の肢軸はまっすぐですので、後膝からくる脛骨(腓骨)がズレた距骨滑車に合わせてナナメにつながっているわけでもありません。

明らかに、距骨滑車の関節だけがズレています。

??? なんででしょうか ???

外望上の肢軸はほぼ後膝、飛節、管と一直線上なのに、距骨滑車はナナメに???。

つまり、力を伝わりづらくさせているのか???。 σ(-_-;)

で、日々なんとな~~く考え続けた結果。 あ(電球点灯!)

もしかして、飛節って、「曲げたくない関節なのではないか?」と思い付きました。

押してもダメなら引いてみな的逆転の発想。

馬って、走ってる時って、飛節を曲げてねんじゃね??。

つまり、人間の走法のように筋肉を思いっきり使って足の関節を屈曲、伸展させて走るのではなくて、飛節を突っ張って、腱、靭帯の弾性で(馬体重を使って)ビヨーーン、ビヨーーーンって跳ねるように走っているのではなかろうか???と。

そういえば青木先生も馬の走りは「ホッピング」だ。と当会主催の馬学講座でおっしゃっていた。

え?でも、飛節って曲がる関節じゃん・・・ と思う人もいて当然。

たぶん、飛節を曲げるのは肢を前に出すとき(だけ?)ではないでしょうか?。
後肢で地面を蹴った(私的には地面を引っ掻いた)後に。

あ、頭脳労働が疲れてきたので今日はこのへんで・・・。

ちなみに、飛節は「相互協調機構・reciprocal apparatus」といって、後膝、飛節、球節、趾関節を連動させる仕組みの中にあります。

なもんで、飛節だけを動かすことはできないし、同時に後肢の蹄だけかえすこともできません。

飛節を動かすときは必ず後膝、蹄の反回も伴います。

ダグ・バトラー氏の「Bones and Ligaments」というVHSのビデオにその様子が出ております。

バラバラの骨を腱や靭帯を模した革バンドで留めていき、最後に後膝、飛節、蹄の反回の連動性を見たときはカンドーしました。

では、また。

変な話 飛節について

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変な装蹄師の独り言。

書き捨て御免。 m(__)m

後肢の不具合って難しくないですか???。

なんならまだ明確に跛行してくれればこちらとしてもアプローチのしようもあるのですけど・・・

多くの馬が「飛節内腫」という一種の骨瘤をかかえているのも事実で、でも、飛節内腫に対して明確なアプローチが確立されていないのも事実のような気がします。私が知らないだけかもしれませんけど~。

飛節・・・ それは、馬の持つ最も大きなブラックボックスなのではないか!? と、思っております。

思い起こせば2011年3月11日。 東日本大震災の後。
とある高校馬術部も被害を受け、部室を掃除したときに・・・
後肢の骨標本が出てきました。

藤田さん馬の肢の骨いりませんか?? と聞かれ、0.3秒でちょうだいと即答しました。
(゜ロ゜; 欲しいっ!!

残念だったのは飛節を構成する8個の骨のうち、真ん中の1個が紛失していたことです。

しげしげとそのいただいた馬の後肢の骨標本を眺めていると、あることに気づきました。

飛節には踵骨滑車(きょこつかっしゃ)というドアノブのような関節があるのですが、その関節の軸が肢軸(指軸)に対して斜めになっているのです。

??? なんで ??? σ(-_-;)

海で昆布のダシが出ない以上の ??? なんで ???

だって不自然じゃないですか??

蹄骨から始まる指軸の関節は、地面に対しておおむね垂直、関節の軸は水平です。

これはだれがどう見ても地面と肢との力のやりとりの効率上素晴らしい設計であると言えます。
その精緻さは神の存在をも感じさせます。

それなのに、あ~ それなのに、それなのに・・・。

なぜ? Why???

距骨滑車の関節軸は斜め、つまり地面と馬体との力のやりとりの効率を下げているのでしょうか???。

眠れません・・・。 こんなに眠れないのは「地下鉄がどこから入ったか?」以来です。

初めは奇形か?? と思いましたが、骨の本のどれをひっくり返しても距骨滑車が「斜め外」に向いているので、どの馬も、そう、あなたの馬の飛節も例外なく軸がズレております。

もう震災いらい6年、この飛節の不思議についてぼんやり考え続けております。

きっとこの「軸ずらし」の構造が馬の動きの秘密を握っているのではないでしょうか??
ちなみに、飛節内腫はこの構造的欠陥が原因ではないか?
と、言われております。

ちなみに、ちなみに、

この項目を読んで飛節を身近に感じてもらっても、飛べなかった高さの障碍を飛べるようになれる訳でもありませんし、出来なかったピルエットができるようになる訳でもございません。

残念です。 m(__)m 申し訳ない。

長くなったので、今日はここまで。

写真の1枚目と2枚目は同一馬の右後肢、前面です。

クレイン・関東装蹄師会合同 装蹄技術研修会

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平成29年6月10~11日、宇都宮の装蹄教育センターにおきまして合同装蹄技術研修会が行われました。

全国大会の予選を兼ねたクレイン・関東装蹄師会の合同競技会ですが、今年は日高、山形、広島の地方会からの参加と、韓国の装蹄師も参加とで大変盛り上がりました。

競技内容は装蹄判断、造鉄競技(07タイプ、斜面付き連尾蹄鉄)を行い、総合優勝は昨年の全国装蹄競技大会の覇者、森野健太選手(北海道日高装蹄師会)、2位が北澤範文選手(本会)でした。

2日目は、笠嶋先生、吉原先生のエコー診断についての講義と実技、森先生の最新馬学情報、今井製作所のプロパンガスの基礎知識の講義がありました。

エコー診断ではその画像の特徴から、7分割された管骨のどの部分かがわかるようにすることと、横断面(輪切り)だけでなく、縦断面の画像もチェックすることが大事だと教わりました。

韓国からは25名の参加者、台湾からも3名の参加者がありました。

韓国チームからはそのうち6名が競技会に参加していただきました。
なれないルールにも関わらず、皆さん精一杯鉄をたたいており国家資格になった勢いを感じさせられました。

大西先生による古いヤスリから釘切刀を造るというデモンストレーションもあり大変有意義な2日間となりました。

馬頭観音ー3。 その地域特性

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~ 明日なら屁~かまして 室が燃え ~ 秘密の暗号。

小4の娘が時代の順番がわかりづらいとのことで、頭をとって即興で創ったら我ながらできがよろしかったのでつい発表♪。

飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土・桃山 江戸。

旧石器時代、縄文、弥生、(古墳時代)及び、明治、大正、昭和は自己責任にてお願いします。

あすならへーかまして、むろが(あ)もえ。

そんなワタクシですが、歴史、地理など社会が全くダメです。名門駒場学園の出身ですし・・・。ついでにいうと理科(とくに生物)以外壊滅的にダメです。

それでも齢(よわい)を重ねるごとに知る楽しみを実感し、遅ればせながら興味の赴くままに知ることを楽しんでおります。

さて、本題です。
                                

~ 馬頭観音の地域性 ~

・・・と、言いましても隣県の福島と千葉についてです。

そもそも書籍が少ないので。

馬頭観音の石碑が関東(東日本?)に多く見られると前回も書きました。

で、たまたまアマゾンのマーケットプレイス(中古本販売)で入手できた書籍が福島(役馬と碑{いしび}・例の1.3万円したやつ)と千葉(房総の馬乗り馬頭観音)という本でしたので。

茨城でよく見かけるのは「馬頭観世音」と字だけ彫刻されている石碑です。
前々回の馬頭観音の写真で電柱の横の道端にあった石碑は偶然通りすがりに見つけたものですが、仏像姿の彫刻でした。(顔が摩耗して見えづらいが、上部に「馬頭観世音」と彫刻が施してあった。
ちなみに、実穀から土浦方面に進み、この石碑を目印に左折をすると土浦市右籾の吉野家(ブックオフ・バザール並び)にピタリと出られます。
地元ネタで恐縮ですが・・・。細~~い住宅街を抜ける道ですが・・。
m(__)m

今のところ、ふわっと確認しているだけですが、茨城県内で私が知っている仏像姿の馬頭観音はこの土浦市の1例のみです。

お隣千葉県には「馬乗り馬頭観音」という珍しい馬頭観音が多数確認されているようです。

「馬乗り馬頭観音」は全国でもここ(房総)だけに見られる珍しい石像で(長野、群馬、福島、埼玉にも数例は確認)、房総の中でも東房総(銚子、旭市、八日市場市あたり)に1面2臂(1面多臂含む)が多く、内房(木更津市、袖ケ浦市、市原市あたり)が3面多臂が多く存在していることがわかっているようです。

この偏在性は何を物語っているのでしょうか???。

極私的な見解ですが・・・。

海から渡って来たのではないか?? と、私は超個人的に思います。(そう考えると単に楽しいから。)
楽しいだけじゃダメですか!! ┗┗(゜ロ゜;

銚子市などの東房総は伊豆半島以西の外洋ルートで、木更津市などの内房はアクアライインを越えて・・・嘘じゃ!! (゜ロ゜;
東京湾を越えて、三浦半島とか?川崎とか?横浜とか??。

鹿島神宮が海に近いところにあるのは、海洋ルート(親潮)に乗って大和朝廷の勢力が移動してきたからではないかな~~・・・と、個人的に思っているからです。

一度に多くの人数や物資を運搬でき、山賊などに狙われにくい海洋ルートは当時としては危険でもあったけど、有効手段だったのではないでしょうか??。

ちなみに「常陸の国風土記」には行方郡(霞ヶ浦北側・鹿島市の隣)では大和政権の使者が先住民(佐伯)を討伐したと明記されていますし。

まあ、そんなこんなで、静岡・伊豆半島以西に1面2臂の馬乗り馬頭観音を、また、東京湾西部(三浦半島?川崎、横浜?)に3面多臂の馬乗り馬頭観音が確認できたら・・・

面白いだろうな~~~・・・ という希望的観測です。

                                
福島には「厩山」とか「東堂山」とかと彫られている石碑があり、これも馬頭観音だとか。

「厩山」は会津に多く見られ、厩獄山が本山とされているようです。

「東堂山」は磐城地方に多く見られ、本山は田村郡小野新町にあるようです。

                                 
昔(古代かな?)には、東日本は軍馬の一大生産地ではなかったか??との説があるようです。

大和朝廷が先住民を追い立てて北上していくのに、軍馬、燃料、食料などの供出地だったようです。

まぁ、先述した通り私の歴史感はポンコツなんですけど・・・。

群馬、栃木、茨城の北関東に加えて福島。

このあたりの古代史を勉強すると、古代日本人と馬との深い関係が紐解けるかも知れませんね~~。

おしまい。m(__)m

馬頭観音ー2。

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もう少し掘り下げて馬頭観音様。
                                

~ 馬頭観音とは ~

前回も言いましたが、インド名をハヤグリーヴァ(馬の首を持つ者の意)。

基本的には三面(一面、二面もあるようです)、多臂(腕がたくさんあるものが多い)。
千手観音は千臂?。
臂(ひ・ぴ)とは肘(ひじ)を指すようです。

阿修羅は三面六臂(さんめんろっぴ)。

頭頂に馬の頭をいただき、憤怒の相(柔和の相もあるが)、怒髪(サイヤ人いやもとい、スーパーサイヤ人的髪型)が特徴。

頭自体が馬の「馬頭・めず」というのもあるが、それは「牛頭・ごず」とコンビで地獄の獄卒(番人?)なので「馬頭観音」とは全く別人。

怒りによって人々の目を覚まし、正しい道に導こうとすることを表現。

馬が野の草を食いつくすように、もろもろの障害を喰いつくし、しかも疾走する如く衆生の煩悩を救うという特徴を具現化している。

以上、仏教的かつインド的馬頭観音の基礎知識。

チベットでは馬頭観音は馬の守護神。
                                 

~ もう少し身近に 馬頭様(石像とかの) ~

東日本に多く見られる。

近世以降、牛馬(家畜)の守り神、旅の安全を祈る神、農耕の神、養蚕の神、商売繁盛の神など・・・。

「神」としている時点ですでに仏教の「仏さま」から逸脱している・・・。神道なのか???。ぼそっ。

                                
このように、馬頭観音には奈良時代に渡来してきたインド起因の仏様としての面と、近世以降の家畜や旅の安全、商売繁盛などの民間信仰的?神様としての面の二面性があると思う。

恐らく、我々馬に従事する者にとっても後者の民間信仰的「馬の守り神」的存在に期待しているところが多い。

なぜ東日本に多いのか??。

恐らく、恐らく、恐らく。

西日本は中央政権で公家社会だったのに対して、東日本は武家社会だったからではないだろうか???。
戦力としての馬、旅の安全祈願、その供養など。

                                
~ 設置場所(石像) ~

やはり馬に関わるところに設置されていることが多いようだ。

・つくらい場 ※1.
・村の中心地の十字路
・村の出入り口
・災難現場 ※2.
・馬のお墓

 ※1.つくらい場とは、むかし「馬つくらい」をした場所を指す。
年に2~4回、村の馬を集め、獣医、伯楽(削蹄師的?)を呼び馬たちを診てもらい、また削蹄をしてもらう場所のこと。らしい。

 ※2.坂道に多く見られるのは荷役馬などが坂で滑り落ち命を落とすことが多かったからとも言われる。
 興味深いのは地元の博学の老人の話。
 馬には「忌み地」が見え、飼い主の身代わりに身を投じる(投じた)。とのこと。

調べてみるといろいろ興味深い話が出てきました。

知ることは楽しいことですね~。

つづく。

ざっくりと 馬頭観音

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遅筆ですいません。
m(__)m

以前から温めていた「馬頭観音」についてやってみたいと思います。

まず初めに。 あまり大きな声では言いたくはないのですが・・・

「役馬と碑(いしび)」という本、アマゾンのマーケットプレイス(中古本)で
1万3000円しました。

まぁ、写真の3冊とも絶版でそれなりの値段はしましたが・・・

馬頭観音の本って、なかなかないんですよね~・・・。

まぁ、でもいいんですよ・・・ 皆様の知識のかけらにでもなってくれたらそれで本望ですよ・・・。1万3000円なんて・・・。

それでは、本題。

そもそもなぜ「馬頭観音」を取り上げたかといいますと、仕事柄茨城県とその隣県を移動することが多いのですが、けっこう目にするんですよね~。

で、

なんでこんなにあるの?? と思ったわけです。 とくに茨城県。地元だし。

馬頭さん、馬頭さん、馬頭さん・・・ 
「罵倒されたお父さん」の略である。
d ( ̄▽ ̄;)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
( ̄ー ̄;)

ウ・・・ ウソである。

実は馬頭観音には二面性があるようだ。

一つは仏教の伝来とともにインドを起源とする「馬頭観音」あるいは「馬頭明王」と呼ばれるいわゆる「仏さま」。

もう一つは民間信仰における「馬頭さま」。

前者は奈良時代にすでに日本に渡来してきたようで、本名(インド名)を「ハヤグリーヴァ・(馬の首を持つ者の意)」の、正真正銘の仏教の仏さま。

後者は(たぶん)江戸時代以降、民間人が農耕、交通手段などで馬を身近に飼い始めてからの神様的存在。

もちろん「卵が先か鶏が先か?」的なことで言うならば、ハヤグリーヴァあっての馬頭さま。

実際に仏教の馬頭観音という仏様がいて、それを後々に民間信仰の馬頭さまにしたということと思われる。

つづく。m(__)m

5本肢。

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先日、削蹄しました5本肢のサラ。

遺伝ではないそうです。 突然変異でしょうか??。

3指馬への部分的先祖返りでしょうか??。

右前球節の内側に大きめの副蹄のように出っ張ってくっついております。

腱は恐らくなさそうなので、触るとブラブラしています。

形状はクラブフットのようにみえます。

硬い蹄壁が「0」状になっており、中央に蹄底になりそうだった狭い空間が認められました。

おおむね駐立状態で削蹄できました。(可能な限り)

右前の内側なので、左側からの作業でしたが、左前肢が邪魔でたまりませんでした。

左前、前膝から切っていいか? と所有者に聞いてみたところ、それはダメと言われました。 蹄の数は4個になるからいいじゃんか・・・。

1歳牝馬だそうです。

鉄子の部屋 ~2nd Stage ~

平成28年度の獣医師国家試験合格者数は 1,000 人なんだって~。

毎年1,000 人近い獣医師が世に送り出されているそうよ・・・。

それに引き換え・・・

装蹄師は1年でたったの16人程度しかなれないの。

つまり、何が言いたいかって言うとね・・・

もっと装蹄師にやさしくしなさいよ❗❗。
(゜ロ゜;

比率でいうと1000:16よ。
1.6 %よ❗。(何のだ)

絶滅危惧種でレッドデータブックに載りそうよ。
もうほぼオオサンショウウオよ。

やさしくしなさい❗。
わかった!?
(゜ロ゜;