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馬頭観音ー2。

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もう少し掘り下げて馬頭観音様。
                                

~ 馬頭観音とは ~

前回も言いましたが、インド名をハヤグリーヴァ(馬の首を持つ者の意)。

基本的には三面(一面、二面もあるようです)、多臂(腕がたくさんあるものが多い)。
千手観音は千臂?。
臂(ひ・ぴ)とは肘(ひじ)を指すようです。

阿修羅は三面六臂(さんめんろっぴ)。

頭頂に馬の頭をいただき、憤怒の相(柔和の相もあるが)、怒髪(サイヤ人いやもとい、スーパーサイヤ人的髪型)が特徴。

頭自体が馬の「馬頭・めず」というのもあるが、それは「牛頭・ごず」とコンビで地獄の獄卒(番人?)なので「馬頭観音」とは全く別人。

怒りによって人々の目を覚まし、正しい道に導こうとすることを表現。

馬が野の草を食いつくすように、もろもろの障害を喰いつくし、しかも疾走する如く衆生の煩悩を救うという特徴を具現化している。

以上、仏教的かつインド的馬頭観音の基礎知識。

チベットでは馬頭観音は馬の守護神。
                                 

~ もう少し身近に 馬頭様(石像とかの) ~

東日本に多く見られる。

近世以降、牛馬(家畜)の守り神、旅の安全を祈る神、農耕の神、養蚕の神、商売繁盛の神など・・・。

「神」としている時点ですでに仏教の「仏さま」から逸脱している・・・。神道なのか???。ぼそっ。

                                
このように、馬頭観音には奈良時代に渡来してきたインド起因の仏様としての面と、近世以降の家畜や旅の安全、商売繁盛などの民間信仰的?神様としての面の二面性があると思う。

恐らく、我々馬に従事する者にとっても後者の民間信仰的「馬の守り神」的存在に期待しているところが多い。

なぜ東日本に多いのか??。

恐らく、恐らく、恐らく。

西日本は中央政権で公家社会だったのに対して、東日本は武家社会だったからではないだろうか???。
戦力としての馬、旅の安全祈願、その供養など。

                                
~ 設置場所(石像) ~

やはり馬に関わるところに設置されていることが多いようだ。

・つくらい場 ※1.
・村の中心地の十字路
・村の出入り口
・災難現場 ※2.
・馬のお墓

 ※1.つくらい場とは、むかし「馬つくらい」をした場所を指す。
年に2~4回、村の馬を集め、獣医、伯楽(削蹄師的?)を呼び馬たちを診てもらい、また削蹄をしてもらう場所のこと。らしい。

 ※2.坂道に多く見られるのは荷役馬などが坂で滑り落ち命を落とすことが多かったからとも言われる。
 興味深いのは地元の博学の老人の話。
 馬には「忌み地」が見え、飼い主の身代わりに身を投じる(投じた)。とのこと。

調べてみるといろいろ興味深い話が出てきました。

知ることは楽しいことですね~。

つづく。

ざっくりと 馬頭観音

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遅筆ですいません。
m(__)m

以前から温めていた「馬頭観音」についてやってみたいと思います。

まず初めに。 あまり大きな声では言いたくはないのですが・・・

「役馬と碑(いしび)」という本、アマゾンのマーケットプレイス(中古本)で
1万3000円しました。

まぁ、写真の3冊とも絶版でそれなりの値段はしましたが・・・

馬頭観音の本って、なかなかないんですよね~・・・。

まぁ、でもいいんですよ・・・ 皆様の知識のかけらにでもなってくれたらそれで本望ですよ・・・。1万3000円なんて・・・。

それでは、本題。

そもそもなぜ「馬頭観音」を取り上げたかといいますと、仕事柄茨城県とその隣県を移動することが多いのですが、けっこう目にするんですよね~。

で、

なんでこんなにあるの?? と思ったわけです。 とくに茨城県。地元だし。

馬頭さん、馬頭さん、馬頭さん・・・ 
「罵倒されたお父さん」の略である。
d ( ̄▽ ̄;)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
( ̄ー ̄;)

ウ・・・ ウソである。

実は馬頭観音には二面性があるようだ。

一つは仏教の伝来とともにインドを起源とする「馬頭観音」あるいは「馬頭明王」と呼ばれるいわゆる「仏さま」。

もう一つは民間信仰における「馬頭さま」。

前者は奈良時代にすでに日本に渡来してきたようで、本名(インド名)を「ハヤグリーヴァ・(馬の首を持つ者の意)」の、正真正銘の仏教の仏さま。

後者は(たぶん)江戸時代以降、民間人が農耕、交通手段などで馬を身近に飼い始めてからの神様的存在。

もちろん「卵が先か鶏が先か?」的なことで言うならば、ハヤグリーヴァあっての馬頭さま。

実際に仏教の馬頭観音という仏様がいて、それを後々に民間信仰の馬頭さまにしたということと思われる。

つづく。m(__)m

馬搬(ばはん)、馬耕(ばこう)のワークショップに参加してきました~。

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紅葉も峠を越えた11月27日(日)、茨城県常陸太田市のさとやまホテル「ときわ路」にて行われた「馬搬」、「馬耕」のワークショップに家族で参加させていただきました。

NPO法人「さとうまプロジェクト」という里山に馬のいる風景を取り戻そうという活動をされている方々の企画でした。

馬のオーナーの横山夫妻は長野県から遠路はるばる来県していただきました。

馬搬(ばはん)とは馬で何かを運ぶことだと思うのですが、おそらくほぼ山の材木の切り出しの馬による運搬を指すと思います。

馬耕(ばこう)は読んで字のごとく馬で田畑を耕すことです。

現在馬搬はその仕事場をほとんど重機にとって変わられておりますが、岩手県などでは現役で働いている馬と馬方さんがいらっしゃるそうです。

横山さんのご主人も岩手に通って、馬搬の師匠に教わったそうです。

馬はハフリンガー種のビンゴ。
私は始め馬搬ならかなり大きな重種がくると思っていたのですが、ハフリンガーと聞いてビックリしました。

実際に馬耕を体験して思ったのが、馬耕ってマジ難しい!。ということでした。

これはね・・・ いきなり重種はムリだね・・・と。
若葉マーク🔰が大型トレーラーを運転するようなものだ。と。

やはりまずはハフリンガーのような小型の馬で取り回しとか、色々経験したうえで輓馬のような重種にしないとね。
(-_-;) ムリ。

また、もう一点、体験して良かったのが、馬耕の難しさ。
馬と道具さえ揃えれば準備はオッケー🙆、さぁ❗耕せるぞ❗❗。
と、思ったのは私だけでは無いはずです。
そう、マジ難しいんです。

まず、馬が一定のペースで歩いてくれない。
クワ(農具)が土に深く刺さり過ぎたり、ヤバイ❗と思って浅く持っていくと今度は土から抜けて地面を空滑りするだけだったり・・・
なかなか横山夫妻のお手本のように一定の幅で真っ直ぐな畝(うね)は出来ませんでした。
( ノД`)・・・

出来ませんでした。が、その難しさを知ることが出来たことは良かったと思いました。
私も将来は馬搬や馬耕の真似事みたいなことをしてみたいと思ってはいるのですが、この難しさを知らずに始めてたら「こんなハズじゃ無かった・・・。」と、全てを投げ出してしまうことだったでしょうね。

こういった馬との関わり方も良いと思うし、無くなって欲しくない日本の馬文化だなと思っております。

いつまでも石油が安価で入手できるとは限りません。ピークオイル(最大埋蔵量)もすでに過ぎております。
遠い未来は車を手放し、馬力社会に回帰するかもしれません。
そうなると我々装蹄師はもう気絶するほど嬉しくなると思います。

嗚呼、そんな社会を夢見て、馬搬、馬耕にはぜひとも頑張ってほしいです。
m(__)m

とあるお婆さんのお話し。

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昨年、地元の農フェスの企画で「お年寄りの語りべ」のコーナーがあり拝聴させていただきました。

とあるお婆さんのお話し。

お婆さんは茨城県は石岡市(旧八郷町)に住んでいます。(私も旧八郷町に現在住んでおります)

お婆さんの嫁いだ家は明治2年からその地に住み続ける大きな農家で、現在は立派な茅葺の家に一人で住まわれているそうです。

これはお婆さん(八十数歳)の御姑さんのそのまたお姑さんから聞き伝わったお話です。

お婆さんの大きな農家の庭先には大きな石碑が建っております。

明治32年(前後)に建てられた石碑だそうです。

石碑には「征清軍馬々頭尊」と彫られております。

日清、日露戦争で、お婆さんの家で飼われていた馬が軍馬として供出させられました。

番頭さんが大変かわいがり、馬の体調がすぐれないときは一緒に厩で添い寝をして看病したこともありました。

その馬が軍へ供出されるためトラックへ積まれるのですが、事態を察したのかどうにもこうにも嫌がって、トラックになかなか載らなかったそうです。

しかたなく番頭さんが先にトラックへ乗り込み、鼻先を引っ張りながら先導すると大粒の涙をぽとりと落とし、すごすごとトラックに乗り込みました。

トラックは横浜の港へ向かいました。

さて、馬をトラックから船に積みかえるとき、係の者が気を抜いた瞬間に馬がいなくなってしまいました。
あたりをどれだけ探しても、全く馬は見当たりません。

ある日の朝、お婆さんの家の庭先に大きな影が朝もやの中立っておりました。

なんとその馬は横浜から茨城まで、湾岸線も常磐道も無いのに、トラックで運ばれたのに、帰ってきてしまったのです。

番頭さんが目をこすりこすり馬を見つけると、馬は一鳴きして息絶えたそうです。

この石碑はその名馬を惜しみ建てられたそうです。

単に「馬は賢い」だけでは語りえないお話しですね。

2013動物感謝デー台風の為中止

台風の影響により残念ながら
「2013動物感謝デーin JAPAN」(駒沢公園)が中止になりました。
本会から造鉄実演の為、数名派遣の予定でしたが、また来年のお楽しみに!

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