謎スイッチ。
高校1年の時に初めて曲げた蹄鉄
私は私立駒場学園高等学校出身の装蹄師です。
その昔は、装蹄師になる為には、日本装蹄師会が主催する長期講習(半年)、短期講習(1ヶ月?)、そして、駒場学園高等学校・装蹄畜産科・装蹄コースを卒業(3年)する。という3通りの装蹄師資格の取り方がありました。
私立駒場学園高等学校とは、元を辿ると旧陸軍獣医学校に端を発し、獣医部門は日本獣医畜産大学(現日本獣医生命科学大学)となり武蔵境へ、装蹄部門が駒場(地名)に残り駒場学園高等学校となったと聞いております。
現在も母校、駒場学園高等学校は渋谷にほど近い世田谷区にあるようですが、私としましては男臭くもなく馬臭くもない駒場学園には興味がありません。共学になって羨ましくはありますが。
私は中学時代勉強もせず、ムツゴロウさんに憧れる少年でした。
中学校の先生には「藤田君の学力では都立(公立)高校の受験は無理です。」と言われ、父親が駒場学園の普通科の卒業生というコネを使って、当時教頭先生であった岩根先生に父が懇願してバカ息子を入学させてもらいました。そう、私は駒場学園に裏から入ったのです。
そんな私でしたが、駒場学園で
力の門田、技の服部、知恵の青木、糸岡先生、中根先生と、先生方に育てられ馬を通して学ぶ楽しさを知り、バブルと両親のお陰様も相まって大学に進学する事ができました。
そう、私は裏から入学して、進学率を押し上げて表玄関から堂々と卒業した駒場生なのです。✌️(当時は駒場は卒業しましたが、装蹄師になるとは思ってもいませんでした。)
〜ザキヤマ君(仮名)の話し〜
同級生にザキヤマ君(仮名)がいました。
彼を簡単に表現すると、ジャイアンにゴルゴ13の目をつけてドラえもんくらいの大きさにしたヤツです。
入学当初は声も大きく、クラスの注目を集めていましたが、彼の天下は2週間と持ちませんでした。
人は彼を速すぎた男と呼び、知ったかぶりとホラ吹きの二刀流を使いこなし、残り2年と11ヶ月はイジられキャラでした。
卒業以来会っていませんが、恐らく大泉学園あたりで飲んだくれていると思います。
そんなザキヤマ君(仮名)が駒場の卒業式後の打ち上げで珍しく私に良いことを言ってくれました。
たぶん彼にとって、もう、これ以上の名言は出ていないと思います。打ち止めです。
卒業式が終わり、装蹄コースと馬術部の卒業生が集まり、新宿のサントリー館の当時では珍しいカラオケ付きのパーティールームで(昭和は高校生の飲酒はオッケー👌でした。)、
K田先生がニコニコしながら
「おうおまえら❗俺の前でタバコすってみろ‼️。」
で、半分くらいのヤツらがタバコに火をつけたその会の終わりに、
ザキヤマ君(仮名)が私のところにツカツカと寄ってきて、
「藤田ぁ〜(酔っている)、俺には大学に行くような友達はいね〜。お前は俺の誇りだ。こんな俺にも大学に行ったダチがいるんだぜって言うんだ。頑張ってくれよ。ウッシッシ・・・」
ザキヤマ(仮名)、お前(にしては)良いこと言ったな〜(こっちも酔ってる)。
謎スイッチが入った瞬間でした。
そんなワケで、装蹄の事を、ザキヤマ(仮名)に分かりやすいようにと意識しながら(当人は何処で何をしてるかは知りませんが)当ブログを書いておりました。
きっとこういうことが伝わりづらいかな~?とか、こんな事書いたら興味を持ってもらえるかな〜?とか。
2014年から拝命を受けておりましたPC係(インスタも)を退任することとなりました。
読んで頂いていた皆様に感謝いたします。
今後も装蹄学と解剖学とを擦り合わせるべく努力したいと思っております。それは本当に装蹄のせいなんですか?と。
相手は馬という生き物で、ゴールは遥か彼方だとは思いますが、ザキヤマ君(仮名)の思いに恥じぬよう草の根の装蹄師の力になれるよう少しずつ匍匐前進で僅かでも真実に近づけるようにしたいと思っております。
ありがとうございました。🙇
おしまい。