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ホームページについて。

関東装蹄師会のホームページの事業所一覧を更新いたしました。

該当事業所のかたは間違いが無いか確認をお願いいたします。
m(_ _)m

ば、ばーか、ちげーよ。💦💦

ば、ばーか💦 ちげーよ、ちげーよ💦

あれは、走「られ」てたんじゃなくって、
あれは、走「らせ」てたの❗❗

・・・な~んて言ってたヤツはとっくに敵に射られて根絶したのでしょうね~。
(  ̄ー ̄) b

遊牧騎馬民族といえど。

雨の日はしょーもないことが頭をよぎる。

先日も申し上げたように、現在私は遊牧騎馬民族に少しハマっている。

ふと考えた。

遊牧騎馬民族といえど、30万からの兵の中には走られてるヤツとかいたのではないか??。と。
🤔

走られて落馬したら命取りだな・・・とか。

走られた方向が自陣ならばいいけれど・・・
敵陣目掛けた場合・・・
😱😱😱

なんて勇敢な‼️(゜ロ゜)💦❗❗
あいつスゲーな❗ とか。

乗馬の際には走られないようにしないとね~。
と、思いました。 m(_ _)m
さ、仕事、仕事。

年年歳歳・・・ As time goes by.

年年歳歳花相似(ねんねんさいさいはなあいにたり)
歳歳年年人不同(さいさいねんねんひとおなじからず)

とは、マスター・キートンこと、タイチ・キートン・平賀の父、平賀太平氏の言葉。

本日仕事先で出逢った人から・・・

「ガン見してていいですか⁉️」

「見学してていいですか?」

古鉄が欲しいと言っていたのであげたら
「これ❗ガチの鉄ですかっ⁉️」

「これは本当の鉄ですか?」

言葉って時代とともに変わるんだなぁ~~と思いました。

As time goes by.
時の過ぎ行くままに・・・。

新鮮でした。m(_ _)m

遊牧民について。

DSC_1296


ステップ・ウォーリアー(たぶんスキタイ)

DSC_1297


モンゴル騎兵

実はその昔、ヨーロッパよりもアジアの遊牧騎馬民族の方が古く、馬の扱いにも長けていたのではないか??
とのいつもながらの思いつきで、遊牧騎馬民族についてゆる~く調べてみました。

いつもながらの思いつきの切り口ですので、話しが支離滅裂になりますがお許しを。
m(_ _)m

駒場学園では歴史の授業が無かったので、大変新鮮でした。
ウソです。m(_ _)m
歴史の授業の記憶が無かっただけで、歴史の授業はあったと思います。m(_ _)m💦

その昔、ユーラシア大陸の草原地帯(ステップ)を利用して遊牧民や遊牧騎馬民族がいました。
一番大きかったのはモンゴル帝国で
モンゴル帝国の地図(クリック)
1241年のポーランド・ドイツでのワールシュタットの戦いでモンゴル軍が退却するまでは
世界の陸地の1/4、世界人口の半数以上をモンゴルがしめていたそうです。
ちなみに、ワールシュタットの戦いでの退却は敗走ではなく、皇帝オゴデイの死による跡継ぎ問題のための帰還らしく、このときもし、皇帝オゴデイが死んでいなかったらモンゴル軍はさらに西ヨーロッパまで侵攻していただろうと言われています。
すなわち、イギリスもアジアンになっていたかもです。

何故にそんなにモンゴル帝国は強かったのでしょうか??。

かなり野蛮で、奇声を発していたからです。
か?。

遊牧騎馬民族と定住農耕民族では圧倒的に遊牧民の方が有利です。
遊牧民はテントでの移動生活をしているので、本拠地が無い、あるいは分かりづらく、不利になると撤退移動が可能ですが、畑と家を持っている農耕民族はなかなか移動ができません。

また、これは私見ですが、当時の価値観として、略奪や殺生は普通の行為だったのだと思います。

遊牧民として有名なのは現ウクライナあたり発祥のスキタイと、モンゴル系の(トルコ系かも?)匈奴(きょうど)です。

どちらも歴史が古いせいか文字や記録がなく、スキタイはギリシャの歴史家ヘロドトスが、匈奴は漢の歴史家司馬遷(しばせん)がそれぞれ歴史書に記したことからその存在がわかったものです。

なので、「スキタイ」とはギリシャから見た呼び方で、当の本人達は自分たちのことを「サカ」とか呼んでいたそうです。
「ジャパン」と「日本」の関係。

どうでも良いことですが、
「司馬遷には遼か(はるか)に及ばない」とのことで司馬遼太郎としたそうです。ペンネーム。
さらにどうでも良いことですが、
三大喜劇王・ダニー・ケイ → 谷啓(がちょーん)
米国ミュージシャン・クインシー・ジョーンズ
→ 久石譲

広い草原地帯を馬に騎乗移動することにより、情報伝達や統制が取れ、帝国を維持できたのでしょう。
当時(モンゴル帝国)での馬の移動は1日200kmできたとか、人や馬を駅で乗り換えたら1日300km移動、1頭での最高移動記録が1日311kmだったとか。
ちゃんとアイシングとかしてたのだろうか・・・
(-_-;) すげーな。

また、騎馬兵17騎に対して歩兵2,000人。
草原地帯を伝達に走る武装した金朝の騎兵17騎、それを知った北宋軍が2,000の歩兵を使って捕らえようとしたらしいのですが、17の騎兵はただちに左、中、右の3隊に自らを小分けし、中央に7、左右両翼に5騎ずつ。
このささやかな3隊は駆けめぐり、射たて、敵陣を撹乱し、2,000の歩兵はなすすべもなく潰走し、17の騎兵は無キズだった。
との記録があるそうです。

騎馬遊牧の三大要素として、羊飼養、騎馬、牛車とありますが、たとえば、人が1人、徒歩で100頭の羊🐑の飼育が可能ですが、騎馬で管理すると1人で1,300頭の羊🐑の飼育が可能とのことです。

人類は馬と出逢ったことで、広範囲の移動、重い荷物の運搬、農耕、牧畜と様々な文明、文化を発達させ、手に入れることができました。
戦いもね。

今でこそその活躍の場はエンジンに取って変わられしまいましたが、化石燃料を使わないクリーンエネルギー兼肥料製造者として見直されないかな~と、個人的に願っております。

石油が枯渇すれば、馬の時代が再び。
(  ̄▽ ̄)

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