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とあるお婆さんのお話し。

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昨年、地元の農フェスの企画で「お年寄りの語りべ」のコーナーがあり拝聴させていただきました。

とあるお婆さんのお話し。

お婆さんは茨城県は石岡市(旧八郷町)に住んでいます。(私も旧八郷町に現在住んでおります)

お婆さんの嫁いだ家は明治2年からその地に住み続ける大きな農家で、現在は立派な茅葺の家に一人で住まわれているそうです。

これはお婆さん(八十数歳)の御姑さんのそのまたお姑さんから聞き伝わったお話です。

お婆さんの大きな農家の庭先には大きな石碑が建っております。

明治32年(前後)に建てられた石碑だそうです。

石碑には「征清軍馬々頭尊」と彫られております。

日清、日露戦争で、お婆さんの家で飼われていた馬が軍馬として供出させられました。

番頭さんが大変かわいがり、馬の体調がすぐれないときは一緒に厩で添い寝をして看病したこともありました。

その馬が軍へ供出されるためトラックへ積まれるのですが、事態を察したのかどうにもこうにも嫌がって、トラックになかなか載らなかったそうです。

しかたなく番頭さんが先にトラックへ乗り込み、鼻先を引っ張りながら先導すると大粒の涙をぽとりと落とし、すごすごとトラックに乗り込みました。

トラックは横浜の港へ向かいました。

さて、馬をトラックから船に積みかえるとき、係の者が気を抜いた瞬間に馬がいなくなってしまいました。
あたりをどれだけ探しても、全く馬は見当たりません。

ある日の朝、お婆さんの家の庭先に大きな影が朝もやの中立っておりました。

なんとその馬は横浜から茨城まで、湾岸線も常磐道も無いのに、トラックで運ばれたのに、帰ってきてしまったのです。

番頭さんが目をこすりこすり馬を見つけると、馬は一鳴きして息絶えたそうです。

この石碑はその名馬を惜しみ建てられたそうです。

単に「馬は賢い」だけでは語りえないお話しですね。

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