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馬搬(ばはん)、馬耕(ばこう)のワークショップに参加してきました~。

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紅葉も峠を越えた11月27日(日)、茨城県常陸太田市のさとやまホテル「ときわ路」にて行われた「馬搬」、「馬耕」のワークショップに家族で参加させていただきました。

NPO法人「さとうまプロジェクト」という里山に馬のいる風景を取り戻そうという活動をされている方々の企画でした。

馬のオーナーの横山夫妻は長野県から遠路はるばる来県していただきました。

馬搬(ばはん)とは馬で何かを運ぶことだと思うのですが、おそらくほぼ山の材木の切り出しの馬による運搬を指すと思います。

馬耕(ばこう)は読んで字のごとく馬で田畑を耕すことです。

現在馬搬はその仕事場をほとんど重機にとって変わられておりますが、岩手県などでは現役で働いている馬と馬方さんがいらっしゃるそうです。

横山さんのご主人も岩手に通って、馬搬の師匠に教わったそうです。

馬はハフリンガー種のビンゴ。
私は始め馬搬ならかなり大きな重種がくると思っていたのですが、ハフリンガーと聞いてビックリしました。

実際に馬耕を体験して思ったのが、馬耕ってマジ難しい!。ということでした。

これはね・・・ いきなり重種はムリだね・・・と。
若葉マーク🔰が大型トレーラーを運転するようなものだ。と。

やはりまずはハフリンガーのような小型の馬で取り回しとか、色々経験したうえで輓馬のような重種にしないとね。
(-_-;) ムリ。

また、もう一点、体験して良かったのが、馬耕の難しさ。
馬と道具さえ揃えれば準備はオッケー🙆、さぁ❗耕せるぞ❗❗。
と、思ったのは私だけでは無いはずです。
そう、マジ難しいんです。

まず、馬が一定のペースで歩いてくれない。
クワ(農具)が土に深く刺さり過ぎたり、ヤバイ❗と思って浅く持っていくと今度は土から抜けて地面を空滑りするだけだったり・・・
なかなか横山夫妻のお手本のように一定の幅で真っ直ぐな畝(うね)は出来ませんでした。
( ノД`)・・・

出来ませんでした。が、その難しさを知ることが出来たことは良かったと思いました。
私も将来は馬搬や馬耕の真似事みたいなことをしてみたいと思ってはいるのですが、この難しさを知らずに始めてたら「こんなハズじゃ無かった・・・。」と、全てを投げ出してしまうことだったでしょうね。

こういった馬との関わり方も良いと思うし、無くなって欲しくない日本の馬文化だなと思っております。

いつまでも石油が安価で入手できるとは限りません。ピークオイル(最大埋蔵量)もすでに過ぎております。
遠い未来は車を手放し、馬力社会に回帰するかもしれません。
そうなると我々装蹄師はもう気絶するほど嬉しくなると思います。

嗚呼、そんな社会を夢見て、馬搬、馬耕にはぜひとも頑張ってほしいです。
m(__)m

とあるお婆さんのお話し。

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昨年、地元の農フェスの企画で「お年寄りの語りべ」のコーナーがあり拝聴させていただきました。

とあるお婆さんのお話し。

お婆さんは茨城県は石岡市(旧八郷町)に住んでいます。(私も旧八郷町に現在住んでおります)

お婆さんの嫁いだ家は明治2年からその地に住み続ける大きな農家で、現在は立派な茅葺の家に一人で住まわれているそうです。

これはお婆さん(八十数歳)の御姑さんのそのまたお姑さんから聞き伝わったお話です。

お婆さんの大きな農家の庭先には大きな石碑が建っております。

明治32年(前後)に建てられた石碑だそうです。

石碑には「征清軍馬々頭尊」と彫られております。

日清、日露戦争で、お婆さんの家で飼われていた馬が軍馬として供出させられました。

番頭さんが大変かわいがり、馬の体調がすぐれないときは一緒に厩で添い寝をして看病したこともありました。

その馬が軍へ供出されるためトラックへ積まれるのですが、事態を察したのかどうにもこうにも嫌がって、トラックになかなか載らなかったそうです。

しかたなく番頭さんが先にトラックへ乗り込み、鼻先を引っ張りながら先導すると大粒の涙をぽとりと落とし、すごすごとトラックに乗り込みました。

トラックは横浜の港へ向かいました。

さて、馬をトラックから船に積みかえるとき、係の者が気を抜いた瞬間に馬がいなくなってしまいました。
あたりをどれだけ探しても、全く馬は見当たりません。

ある日の朝、お婆さんの家の庭先に大きな影が朝もやの中立っておりました。

なんとその馬は横浜から茨城まで、湾岸線も常磐道も無いのに、トラックで運ばれたのに、帰ってきてしまったのです。

番頭さんが目をこすりこすり馬を見つけると、馬は一鳴きして息絶えたそうです。

この石碑はその名馬を惜しみ建てられたそうです。

単に「馬は賢い」だけでは語りえないお話しですね。